モノーキ

田舎っぺ4

文:lemmon
 

 
この文章はKanju氏の田舎っぺ1、2を受けて私の専攻している社会学的な目から、
都会者、田舎者について考察した物である。
 
土地柄の田舎、都会という物は相対的であり、また客観性に欠ける。
私は人間について都会、田舎と言う物を導き出した。
 
まず、都会と田舎の違いであるが、これは空き地がどうのこうのとか、
彩の国埼玉とかいう、住民から見たら自殺したくなりそうなキャッチフレーズを
考え出してしまう政治家のことを言うのでもない。
文化を発祥するか、文化を受け取るかの違いである。
ココで言う文化とはいわゆる流行である。
ルーズソックスや土人がた女子高生(死ね!)等は最初に東京で確認された。
その後東京と、地方の距離と発見期間に比例関係が見られるように伝播していった。
この結果だけで推測すると、文化を発祥するところが都会であり、
それが伝播していく所が田舎であると理解することが出来る。
しかし、ここでよく調査をすると更に面白いことが解る。
この文化の発祥の地である東京は、実は伝播されていった地方の人間がかなりの数を
占めているのである。この調査結果を加味すると、
東京は地域的には都会である。人間的には田舎者
地方は地域的には田舎である。人間的には田舎者
となってしまい、どこにも都会者が存在しなくなってしまい、
数学的に言うと、「解なし」となってしまう。
だが、他にも目を向けてみると解が見えてくるのである。
文化を発祥する人間は大抵が地域的田舎から出てきた人間であるが、
中には伝播してくる文化を無視して、自分自身のスタイルを確立し、
それを発祥する人間がいるのである。
この様な人間はパッとみ流行遅れの様に見えるが、それは流行という
フィルターごしに見ているからであって、実際はポリシーを持っている場合が多い。
こういった人間、発祥するが伝播はしない といった人間こそが都会者と呼ぶに
相応しいのではないだろうか。
この人間を基準に地域的に都会者がだいたいどの程度存在するか、
をみていくと、その地域の真の都会度田舎度がわかる。
これでみていくと、渋谷などは死ぬほど都会度が低く、山の手などは都会度が高い。
神奈川なども結構高いのである。
いちど自分の回りの田舎度をチェックしてみてはいかがかな?
 
 
一部、過激と思われる表現の削除を行った。
超科学力を用いて覗かないことを望む(Kanju)
 

 戻る

モノーキ