モノーキ

成人式について



01/1/7

明日は成人式。
ここ数年毎年のように、クソガキどもが騒いでしょうがない。
と嘆く新聞記事が多い。
しかし、それは本当にガキだから騒いでいるのだろうか?

考えてみるに、このようなことを言う人は「成人とはこうあるもの」という厳密な定義を持っているのではないか?
つまり、成人になったら「上の人間の言うことは良く聞いて、反発してはならない」ということを成人式で教えこみたいのであろうか?
現代の成人に、「上の人間の言うことは良く聞いて、反発してはならない」という新成人は本当に必要だろうか?
一方的に「大人とはこうあるもの」と押し付けるのは大人のやることではない。

とうだうだいうより、成人式という場が、すでに元服の儀式から、同窓会という価値観にとっくに変わってしまっていることに、大人達が気がつかないのが最大の問題なのだ。
元服の儀式として、成人式に臨むのなら、そりゃぁ緊張して偉い人達の話も静かに聞くだろう。
しかし、成人式にでる新成人は久しぶりに会う友人達を懐かしむので忙しいのだ。
どこの誰が、そんなに偉くない人達の話を聞くのか?

じゃぁ、なんで成人式が同窓会になってしまったのか?
というと、意味の伝承という作業を大人達が怠っていたからに他ならない。
成人式という形だけの儀式だけを、脈々と受け継いではいる。しかし、なぜ成人式を行うのか?ということを子供達に伝えなかったからこそ、良くも悪くも同窓会という新しい価値観を新成人たちはみつけてしまったのだ。

それでも、友人としゃべりたいなら、外へ出ろとか思うけど。



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