モノーキ

あるコラムを読んで



00/9/24

某大手新聞の日曜版コラムに「日本人は短距離走などは黒人なんかに勝てないんだから、分をわきまえて得意分野だけに出場しろ」という趣旨のコラムが載ってた。

質問1.どうやって日本人は黒人に勝てないとわかるのですか?
それは国際大会に日本人が出場しているからではないのでしょうか。

質問2.黒人の日本人天才短距離ランナーがでてきたらどうしますか?
黒人だから出場を認めるのですか?それは人種差別ですよね?

質問3.貧乏で国にプールが二つしかないがほかの選手のフライングで奇跡的に一次予選を突破した(たしか)ギニアの選手に「泳げないのに参加するな」と言ってることと同じことですよね?いえる?

質問4.短距離走の選手に面と向かってこの言葉吐けますか?
特に今陸上部などでがんばっている人たちに。

まぁもうオリンピック飽きちゃいましたけど。
 

同じコラムでは「全国にオペラハウスなぞ作らないで、国の伝統芸能を残す方に金を回せ」的なことも書いてあった。

まぁ全国にオペラハウスを作るのも問題だが、だからといって伝統芸能を残せというのもどうかと思う。

伝統芸能というものはある意味確立されてしまったもので、昔も今もたいしてやっていることは変わらない(ように見える)
伝統芸能の創始者たちは自分たちの芸を発達させようとがんばっていたのだろうが、
江戸時代の人向けの娯楽が現代人に通用するのか?
実は通用するならば、その魅力はどうしたら通じるのか?
伝統芸能だからといって、あぐらを組んで客を待つのは正しい姿勢か?

残すために生かされるようになっては、伝統芸能の発展どころか維持すら困難であろう。
末永く続けたいのであれば、その前になんらかの手を打つ必要があるだろう。
ある意味幕引きだって考える必要もあるのではないか?
(まだそこまではいってないだろうが)

と、いうより極論を言ってしまえば、
文化といったって、過去に誰かが創始し、常に変化発展を続けたもの。
だから世界の交流が活発になったら、それにあわせて変化発展をするのは、むしろ必然。
むげに守りに入って変化に拒むのは正しい姿勢とはとても思えない。

(伝統芸能とか文化は「日本の」という意味ではない)



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